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花尊し

花尊し

無宗教葬


無宗教葬についての Q & A

Q 無宗教葬とは
A 葬儀は宗教儀礼を伴うことが一般的です。
葬儀のベースにあるのは死者への鎮魂で、
人の死という悲しい事態において、死者(の霊)を人知を超えたものに委ねる想い、
死者(の霊)のあの世での幸せを祈る気持ちがあるからです。
弔わなければ死者は成仏できず残された者に厄をもたらす、
という原始的な宗教観や恐れから、鎮魂の儀式として葬儀が発展しました。
このような一切の宗教的な観念やしきたりに頼らないという考え、
無神論者の立場に立てば、死は無であり、悲しみと思い出だけが残るもので、
葬儀式など供養も祈りも不要で、遺体処理の火葬と遺骨の処置が必要なだけです。
無宗教葬とは無信仰とは異なり、特定の宗教宗派の方式にはよらない葬儀という意味で、
冥福(冥土での幸福)を祈らないわけではありません。
仏教、神道、キリスト教の何かを特に信じているわけではないし、
どの宗教宗派にも所属していないので、自由な形式で葬儀を行いたい、
それが無宗教の葬儀なのです。
無宗教の葬儀は、会葬者の対応に追われる葬式仏教の形式的な葬儀ではなく、
お坊さんなど宗教者に頼らない葬式で、家族の手による儀式を中心とした葬式です。
通夜や別れの時間をゆっくりと取り、家族が故人を囲んで最後のときを静かに過ごす、
そんな心温まる葬儀が無宗教葬なのです。
死者をあの世に送る儀式としてではなく、亡くなった方と近親者がお別れすることを主眼に行われ、
自由な方式で行うことが出来ますが、反面、どういうイメージで行ないたいのか、
を明確にしておかなければ、しまりの無いものになってしまいます。

Q 葬儀で最優先の目的は何か
A 一般的にどのような葬儀も「故人と家族の別れ」を大切にしますが、
問題はそれを一番大切にするのかという優先順位です。
・故人と家族の別れ
・世間体
・風習や習慣
・葬儀社が決める別れ
「故人と家族の別れ」を最優先にしますと葬儀の内容はガラリと変わります。
形式よりも葬儀の本来の目的である「故人と家族との別れ」を最優先するのが無宗教葬です。

Q 無宗教スタイルで行う家族だけのオリジナルセレモニーとは
A 特定の宗教・宗派に頼らず、それぞれの家族の葬送スタイルを創造するのが無宗教葬です。
仏教、神道、キリスト教といった従来の宗教にとらわれずに行う葬儀のスタイルで、
宗教を持たない人の葬儀という意味ではありません。
特定の形式、スタイルが決まっていないため自由葬と呼ぶこともあります。
その家族の思いや故人の遺言によってオリジナルなスタイルが創られます。
祭壇に花と遺影を飾り、また、祭壇の無いお葬式だってあり得るのです。
故人の好きだった音楽を流したり、生演奏の音楽葬であったり、家族全員が送る言葉を捧げたり、
線香や焼香ではなく献花とか、故人の映像を流しながら偲ぶとか、色々な方法があります。
ロビーに故人のアルバムなどの遺品を展示することもありますし、
プロジェクターを用意して、故人の写真を映すこともあります。
祭壇も、宮型の白木祭壇でなく、色とりどりの生花でつくられた生花祭壇があります。
葬祭ホールではなく、ホテルなどで行われることもあり、より自由なプログラムで行われています。

Q 偲ぶ会(お別れ会)とは
A 宗教者を招かずに、宗教色を抜いた自由な形で行う葬儀を総称して無宗教葬と呼び、
お別れ(の)会、偲ぶ会、友人葬などと呼ぶことが一般的です。
葬儀というよりも、告別式、追悼式というべき形式です。
葬儀は家族とごく内輪だけの簡素な家族葬(密葬)とし、
告別式は、お別れ(の)会、偲ぶ会などにするケースもあります。
密葬の後の本葬、社葬を偲ぶ会、お別れ会として行うこともあります。
一般にお別れ会と呼ばれるものは、
死亡直後には近親者で密葬を行い、
1~2ヵ月後に本人の知人・友人に集まってもらって行うものです。
密葬では本人や家族の宗旨に基づき宗教儀礼を行うことが多く、
お別れ会では無宗教方式が多いようです。

Q 伝統的葬儀が見直し、されているのか
A 一般的な葬儀も宗教儀礼の意味が減少し、人と人とのつながりが弱くなり、
通夜の告別式化に見られるように合理性・便利さのみが追求されるようになってきています。
伝統的に守られてきた葬儀には、3つの特徴がありました。
第一は宗教性です。
これは大切ないのちの終焉という事態に対して、
神や仏の前でいのちの行方に厳粛に対峙する時であったからです。
この宗教性が失われることにより、葬儀が軽くなりイベント化してきているようです。
第二は共同性です。
人は一人で生きているのではなく、家族、親戚、地域の人、友人、知人との関係で
生き、暮らしています。
人の死にあたって参加する者も自分と死者との関係をもう一度考え、
一緒に送るということが大切です。
いま葬儀から暮らし、人と人の関係の温もりが失われてきているようです。
第三は遺族の悲しみへの配慮です。
昔の葬儀で隣近所が総出で手伝ったのは、危機状態を迎えた遺族が
弔いに専念できるようにとの配慮からでした。
また、隣近所の葬儀に参加することで、遺族の悲しみの深さが共感できるようになったと思われます。
この宗教性、共同性、遺族の悲嘆への共感の3つがもう一度見直されないと
葬儀はますます形骸化してしまうでしょう。

Q 葬儀をしない自由はあるか?
A 葬儀をしない、という表現は誤解である。
死者を弔う行為もなく、火葬など葬りを一切施さず、
死体を遺棄したままなら、葬儀をしない と 言えるが、これは刑法違反になる。
葬儀をしない(されない)自由はない。
では、葬儀をしない、とはどういう意味で用いられているのだろうか。
仏教僧侶を招かない葬儀を、葬儀をしない、と誤解する人がいる。
坊さん抜きでやりたい、という希望に対して、そんなのは葬式ではない、
と言う僧侶や葬祭業者がいる。
また、祭壇がなければ葬式ではない、と言う僧侶、葬祭業者もいる。
葬儀をしない自由は無いが、葬儀の営み方は自由である。
人並み以上のお葬式を、という人より、
無駄なものには費用をかけない合理的な考えの人が増えたのでしょう。

Q お坊さんの役割とは
A 仏式の葬式では、お坊さんを導師と呼びます。
導師は、仏の教えを説いて、人々を仏道に入らせる僧のことをいいますが、
葬儀の時は、導師が棺の前に立ち、死者が悟りを得るように法語を唱えます。
これを「引導を渡す」といいます。
「もう、あなたは死んだんだよ。この世に未練を残しちゃダメだよ」と
あきらめるように最終的な宣告をするわけです。
そのために何度も何度もお経を読みます。
 だから、お坊さんの役割は、故人をしっかりとあの世に送り出すことです。
しっかりという意味は、故人に対してばかりではなくて、
遺族に対しても揺れ動く感情をちゃんと整理してあげるためにも
しっかりと送り出さなければなりません。
 その意味では、臨終の時、魂が肉体から離脱し始め、
まだ故人が死を自覚していないときの枕経が一番大切なんですが、
最近は病院で死亡される方が多いので臨終経がなくなりました。

Q 葬式仏教とは
A 通夜式では、極楽浄土に住んでいる阿弥陀如来さんを初め、
数々の如来様、菩薩様、天使様をお呼びし、
故人が無事お釈迦さまの弟子として極楽に行けるようにお願いします。
諸仏如来、菩薩天使が故人をお迎えにきます。
そのために阿弥陀経や法華経を読みます。
葬儀(告別式)では、仏弟子になるために戒(戒律)を授け、
剃髪(坊主頭)し、戒名・法名を授けます。
これからは、あなたは出家して諸仏如来のもとで修行に励むのですよ、と引導を渡します。
この世の未練(俗欲)を断ち切り、あの世に送り出すわけです。
これが「葬式仏教」の真髄です。
これだけの儀式をおこなうには俗人では無理なので、お坊さんに頼むわけです。
しかし、これを中途半端にやられますと「うかばれない」となります。
葬儀の後(引導を渡した後)も四十九日や百箇日、一周忌、三回忌、七回忌、十三回忌と
お坊さんを呼んで供養の儀式が続きますが、
これでは「まだ故人が成仏していないのか」と、疑問が沸きます。

Q 葬式仏教の歴史とは
A 本来、お坊さんは葬儀をやらないもので、葬式仏教は、実は日本固有の伝統です。
釈迦は入滅のとき、侍者のアーナンダ(弟子)から
「世尊の葬儀をどのようにすればいいのでしょうか」と聞かれたときに
「私の葬儀は在家信者にまかせない。あなた方出家者は、怠らず修行に励むように」
と言われたそうです。
日本の仏教が葬儀を担うようになったのは、徳川幕府の時代、
キリスト教排除と庶民管理が、その動機でした。
その後、数百年に渡って、お坊さんが葬式に関わり、
葬式仏教は日本の伝統・文化にまで確立されてきたのです。
合理主義と科学万能の時代に何不自由なく育ってきた現代のお坊さんには、
あの世よりこの世の利益の方がずっと大事でしょう。
そんなお坊さんが、果たして導師として故人に引導を渡せるのでしょうか。
今や仏教は形式だけが幅を利かす葬式仏教に成り果ててしまいました。
しかし、宗教や人間の心の奥底にある魂の揺れは、科学では割り切れません。
葬式仏教が形骸化していくとともに胡散臭い新興宗教が、先祖の霊の祟りを持ち出してくるのです。


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